手元供養 博國屋店主の部屋
手元供養の伝道師 山崎譲二の徒然日記

男とヒゲ

13年ほど前になるが、阪神大震災を受け六甲アイランドの職場にも行けず無精ひげがきっかけで口髭を蓄えたことがあった。


同じようなきっかけからか震災直後の神戸の街を歩くと自分のような新米口ひげによく出会った。お互い目が合うと相手のひげを見合い、苦笑いしながら目でエールを送りあったものだ。
戦争や大震災など、乱の時代、男はおんな子どもを守らんと野生の本能がむくむくと湧き、雄(オス)の姿をとるものらしい。
ヒゲは、そんな大人の雄の象徴かな?と思ったことがある・・。

そんなきっかけで始まった私の口髭もまわりからは賛否両論あった。
人から似合わないと言われると、当人はたいしたこだわりはなかったのだが闘争心が刺激され、鏡と相談し髭の形を変えながら7年間つづいた。

その頃には、まちづくり企画の事務所をやっており、いつしか「ヒゲ」は私のトレードマークになっていた。


願掛けを信じてるわけではないが、父親のがん告知を受け、一日も長くと願い酒もタバコもやめられない私は、ひげを剃ることとした。
周りの人には片方剃りすぎ、結局 全部剃っちゃたよと言い訳をいい・・。


あれから又、7年の月日が流れた・・。この間、父をそしてこの6月には母を見送った。
先週、母を父の眠る海に散骨し一つの区切りがついた。
また、無精ひげを蓄えはじめた。


今回は、阪神大震災ほどの意味もない髯(あごひげ)面の再登場だ。

いつまで続くか?

今度は本当に剃りまちがいで全部剃ってしまうかもしれない。


故郷高浜の海辺でおこなった早朝の母の散骨。 良寛の師匠との別れとはシテュエーションは異なるが、無常を感じ私の思いと重なった良寛の漢詩。


一朝分飛後   一朝 分飛して 後(のち)
消息兩茫々   消息 兩(ふたつとも) 茫々たり


しかし、一部は手元供養となり 確かに子どもたちの許に在り。・・・か。


やすらかに、そして天上から 子どもたちを見守ってください。



博國屋開業6周年を迎えます

今日、8月8日で有限会社博國屋は6回目の誕生日を迎えます。
博國屋最初の手元供養品「おもいで碑」の試作開始から試行錯誤を繰り返した1年を含めると7年が経ちました。

まちづくりの企画事務所を経営しながら、父への思いから手元供養を考えるに至り、多くの友や仲間にそして家族に支えられた7年でした。心から感謝・感謝です。


博國屋からお届けした手元供養品も3千人を超える人の許で、日々供養の対象となっています。感謝のお手紙やハガキも100通を超えこの仕事に携える喜びに感謝しています。
昨年夏には、ご縁をいただいた詳伝社から新書「手元供養のすすめ」を出すことができました。今日も、大津からこの本を読んだという女性が訪ねてきて、たいへん参考になったとお地蔵さんを購入され帰られました。


仲間と一緒につくったNPO手元供養協会もこの6月で3年。手元供養という新しい日本の供養文化の啓蒙のため、この3年間で「手元供養展」6回、「自分らしい葬送を考える企画展」5回を開催し、全国11都市延べ2,880人の来場者に感謝され喜んでいただいています。

このような活動を通じて多くのマスコミや、全国の葬送を考える市民団体、日本人の死生観・供養観を考える研究者の賛同、共鳴、評価を得、多くの市民にも新聞やテレビ、雑誌、ミニコミ誌、団体機関紙、葬儀本、思想専門書でも取りあげられ「手元供養」も多くの人に知られるようになりました。有り難いことです。


10日程前、博國屋の手元供養品をご購入いただいた方からのメールで
「貴社の供養品に対するお考えに賛同いたします。 いつしか供養が宗教者の主導権の元に置かれてしまっていたようですが、 亡き人を偲ぶ行為はそもそも個人のものだったはずです。 宗教者やお墓制度からの脱却、原点回帰の風潮あるのだと思っています。墓地に対する考えも変化してゆくことでしょう。死生観、宗教観、価値観が墓石文化が根付いた明治期より大きく変わってきています。手元供養にかぎらず、散骨や樹木葬など選択肢の幅が求められることと思っています。」というものでした。


以前、朝日新聞の「天声人語」で、
「都会では、お墓や仏壇が縁遠くなりつつある。 死者をしのぶ行為は本来、すぐれて 個人の心の問題だ。しきたりや世間体を離れ、簡素でも自分に正直に、 気が済むようにすればいいとも思う。」という文とともに手元供養が紹介されましたが、この手元供養品の購入者が全く同じ思考をしていることにびっくりしました。


博國屋も、今日、ワインで乾杯し苦労の6年間を思い出しながら開業7年目第1日目を祝うと同時にスタッフ一同で更なる発展を誓いました。

今夜、家族で故郷松山に帰ります。母の散骨と想い出の島で 海に遊び、翌日は船釣りを楽しむ予定です。
出発前、子どものようにワクワクしています。では、また。

高野山へ本山納骨

京都は暑い日がつづいています。
先週、出張で東京・新潟に行ってきましたが、さらっとした暑さで京都の蒸し暑さとはずいぶんちがうなと感じました。

この頃になると思い出します。
小学生時代の夏休み。海辺のおばあちゃんの家を海パンで飛び出し海に飛び込み砂地にいるヘゴチやベラをヤスで突いて遊んでいたものです。


あの海面近くのなま温かな海水と、3mほど潜ると水中眼鏡もギシギシ泣き出し冷たくなる海水。その感触が甦ります。
あぁー。あの海に また もぐりたい!


7月20日、父の待つ高野山に母の遺骨を納骨に行って来ました。

高野山は空海の開いた密教仏教「真言」の聖地。本山金剛峰寺と共に多くの塔中に1千人を超える僧侶や学問所高野山大学などがある日本で稀な山岳宗教都市でもあります。


室町期に全国に仏教を広めた高野聖たちによって霊場として定着してゆきましたが、空海の眠る納骨堂への参道は奥の院と称し両側には、歴史の本で馴染みの信長や秀吉、家康、おびただしい数の江戸時代各藩藩主の五輪のお墓などが大きな杉木立のなか苔むして林立しています。
不思議な空間です。そこに行き交う人を見ていて、


月日は百代の過客にして、ゆきかふ年も又旅人なり


がふと思い浮かびました。


奥の院




高野山 本山納骨

梅雨も明けたかな?

松風の落葉か水の音涼し (芭蕉)


数年前まで、京都は祇園さんの宵山あたりに大雨、雷がとどろき劇的に梅雨が明けたものです。

今年の天気は異常。これも世に言う地球温暖化現象なのでしょうか?

2、3日前から、夏日がつづき、京都独特のうだる暑さに雨が恋しくなります。

夏もこれからだというのに、寝づらい夜のせいで眠りが浅く夢ばかりみています。

少しでも涼しくと星野道夫の写真集を引っ張りだしてホッキョクグマやカリブーの
棲むアラスカの自然の中に入りしばし心を遊ばせています。

もう一つの暑さ対策は、出勤を車からバイクに変え朝夕通る道すがら青々と育って
いく早苗のじゅうたんや夏の花・花を楽しんでいます。

アガパンサスごぞんじですか?アフリカ原産青紫色のユリ科の花です。
昨年整備された通勤途中の浄水場脇の遊歩道に数箇所植えられていて
、気になっていました。
伸びやかで、清楚ですがすがしい花です。携帯で写真をパチリ。
やっと正体が分かりました。とても愉快・愉快。

冷酒も含めてですが、水ものの恋しい季節となりました。

禍福はあざなえる縄の如し。
母の死から1ヶ月。家族に慶事あり。


写真はなぞの花「アガパンサス」別名ムラサキクンシランムラサキクンシラン








母の死

5月31日、6月1日は、多摩での「自分らしい葬送を考える企画展」。2日で210人。50代から80代くらいの多くの来場者が真剣に講師のお話や葬送情報、手元供養品を熱心にご覧になっていました。お帰りのご老人に、お役に立ちましたか?と、お声を掛けると「知らないことばっかりで・・。来てよかった」と、うれしそうにお話されていました。
6月2日には、NHKの首都圏ニュースで、この催しや手元供養が紹介されるなど大きな反響を呼びました。
今回ご協力いただいた、講師の皆さんやNPO、企業の方々、関係者の皆さんにお礼のご挨拶などいそがしい残務整理に時間が過ぎ、さてブログをと思っていた矢先。


そうでした。「母の日に思う」のブログを書いたのが5月11日。

この頃から、予感がありました。
この夏までは、もたないかなー。という。

お昼に豆腐を食べたおり、予兆もないのに挿し歯が取れ、豆腐で歯が取れるとは!と、事務所で笑ってしばらくして、松山の姪っ子からの電話で母の死を知らされました。
母親っ子だった私に、母が知らせにきてくれたのでしょう。不思議な体験です。

6月9日午前11時20分、享年83歳波乱万丈の一生でした。
風邪で入院し体力が消耗したのでしょう。
老衰です。


葬儀は家族だけでおこない、翌日、告別式はおこなわず
ロングボディのレンタカーを借り、家族で、母の人生を振り返りながら
こどもたちが運転する車3台で思い出の地を巡りました。


母が最期の3年間を過ごしたグループホームでは、看護士のスタッフたちが、
母の生まれ育った海辺の町では、連絡が入っていたので近所の人や
親戚の人が大勢来て母を見送ってくれました。


火葬の後、2年前元気だった母と家族みんなで、中島の帰りに行ったイタリア
レストランの部屋で骨壷と写真を前にワインを飲み、思い出を語り、時を過ごしました。


お坊さんを呼ばなかったおかげで、余計な気遣いや形式、しきたりにしばられ
なかった分、家族での温かな見送りができたと思います。
密葬から思い出の地巡りまで付き合ってくれた71歳の叔母もいい葬儀だったと
喜んでくれました。



来月には、親父と同じように高野山に納骨し、一部を田舎の海に散骨してあげます。
兄妹でもてるよう両親を入れる手元供養もつくろうと思っています。
まだ、親が二人ともいなくなった実感がありませんが、時にふっと元気な頃の
母の姿がおもいうかびます。


亡くなった6月9日は、両親の62回目の結婚記念日でした。
きっと父が母を迎えに来る日を選んだのでしょう。


寝たきりの母の平安な一日を祈ることはなくなりました。
きっと今頃は、親父と天国で仲良く再会を喜んでいることでしょう。

諸行無常。順送り。


自分の番になるまでしっかり「生命(いのち)」を生きようと思っています。

それにしても、煩悩の多いことか。

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