手元供養 博國屋店主の部屋
手元供養の伝道師 山崎譲二の徒然日記

春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり

最近、立て続けに3つのシンポジウムに参加した。東京のシンポジウムは、20年前に設立されたエンディングに関わる市民団体の活動総括であった。

この中で、同じ時期に、水資源確保、森林の保護から始まった「葬送の自由をすすめる会」の理事長がパネラーとなり参加していた。生きてる間は、個々の意思が尊重され自己責任の下で自由な人生を送ることが出来るのに死んだらお仕着せの弔い(お墓)しか出来ないのか?に疑問を持ち、時の政府に立ち向かい日本で始めて相模灘で散骨を実施した。しばらくして、死後を所管する厚生省と法務省から散骨の権利を獲得した。という話しであった。


考えてみたら、公序良俗に反しないかぎり葬送の自由は認められて当たり前とも言える。むしろ、死んだら自然に還るという「自然葬」は、人間も生物であると考えるなら自然界の理にかなっていてむしろ亡骸を墓に閉じ込めて置く方が不自然ではないだろうか?お墓に入りたくない人にとっては、遺族のエゴといえないだろうか?Y理事長の話しで、土葬時代はいざ知らず現代のお墓は「火葬の土葬」ではないか?という話し。なるほど???と思ってしまったのは私だけだろうか?弔いの意味をあらためて考えた。



二番目は、南都二六会主催 第25回仏教セミナー山折哲雄氏基調講演の「日本人の死生観〜これからをよりよく生きるために」
この中で、山折さんは平安時代以降の万葉の和歌や短歌のなかに日本人の死生観が佳く語られていると紹介していた。


例として、道元の「春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり」と、道元を尊敬した良寛はこの短歌を時世の句として本歌取りをした「形見とて何かのこさむ
春は花 夏はほととぎす 秋はもみじば」が日本人の死生観と断じていた。
二人とも中国の古典や仏教の法典を学び厳しい修行を重ねた上、体得したものは難しい古典由来のものでなく「人は自然とともに生き 自然の中に生きる」という真理だったと話していた。
なるほど・・・。



もう一つ、気になる話を聞いた。人生50年から80年になったのは、ここ2・30年で、室町時代から日本人は人生50年として生きてきた。つまり、50歳以降30年の人生モデルを持っていないというのだ。仏教では、自分の思い通りにはならないものとして四苦(生・老・病・死)を説いているがこの生・死の間の老・病にかかわりの深いの長い時間を過ごすようになったというのだ。これを高齢化と呼ぶのかもしれないが、物理的なものでなく人間として日本人が経験したことのないこの人生80年をどう生きるかという大きく重い問題提議として聞いた。
中村仁一さんが言う「人間賞味期限を過ぎた老人の存在意味」と重ね合わせてじっくり考えてみたいと思った。




今日は疲れたので三番めの朝日新聞&関西学院大共催の「愛する人との送り方送られ方」の話しは次の機会としたい。

そういえば、私もお盆に大蓮寺で、10月にはクレオ大阪南でエンディングや死生観のお話しをした。来られた方たちはみなさん私より人生の先輩がほとんどであったが、普遍的な正解のない人生80年時代をどう生きるかという問題に悩んでいる人達だったようにも思える。



2つの講演で、私は 秋元順子の「愛のままで」の歌詞「あぁこの世に生まれ めぐり合う奇跡 すべての偶然があなたへと続く そう 生きてる限り ときめきをなげかけて 愛が愛のままで 終わるように」を例に男女の出会いもそうですが、今の自分があるのも奇跡に近い。「今の自分があるのは、27代前(奈良後期)に遡れば1億3千万人の男女が縦の糸でつながり関係している。この内1人でも違えば今の自分はない。誕生していない。だから、「生」を頂いただけで感謝感謝なのです」というお話しをした。



「死」を考えることは、どう「生」を生きるか?に他ならない。
せっかくいただいた「いのち」、ねがわくは道元の「春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり」のように春夏秋冬を愉しむ日々をおくりたいものである。




今日の1枚 「大蓮寺・應典院提供」
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友の死

今日のことを、Y君のことを忘れないために、ブログにして残しておこうと決心し書くことにした。
11月6日京都は暖かな朝だった。
おつき合いのあるNPOの設立20周年記念シンポジュームが開かれるというので新幹線で東京に向っていた。
浜松を過ぎた頃、携帯が鳴った。かつてまちづくりの会社を一緒に立ち上げたS君から、Y君が昨日亡くなったという知らせだった。
真青の空を背景に、頂に雪をかぶった富士の山稜がいつもより小さく絵画的に見えていたことを私は忘れない。

平成7年、セゾンのディベロッパー会社を退社した団塊の世代の4人の男がそれぞれ自分の事務所を作り、そして資金を出し合い連携して仕事を進めるネットワーク型まちづくり会社をつくった。表参道で開いた設立パーティには多くの人がお祝いに駆けつけてくれ妻達も接待に追われた。懐かしい思い出だ。
都市計画の学者、不動産事業に精通した専門家、アトリエ型建築事務所出身の力のある建築家、そして私は土木出身のニュータウンのプランナーと、セゾン出身でそれぞれ才の異なる個性的な4人で始めたこの会社は、クライアントにも恵まれ全国で多種多様なプロジェクトに参加した。当時、池袋のビッグカメラで通信ソフトの入った同じコンパックプレサリオ520を一緒に購入し、仕事を分担しレポートをメールで送り議論しながらプロジェクトを推進していった。今思うと、おもちゃのようなパソコン能力の中でよくやったものだと思う。
妻達を労おうと山中温泉に行ったり、一緒に酒をのんで夜分彼らの家にお邪魔したりで家族ぐるみの付き合いだった。
しかし4〜5年経つと、メンバーの一人が大学の教官になったり、それぞれの事務所も独自の仕事が増えたことや路線の違いもありネットワーク会社の役割が徐々に薄れネットワーク会社はS君に引き継いでもらい大阪に事務所のあった私は、彼らと年に1・2回しか会うことがなくなった。
しかし、セゾンを退職し独立という収入の安定しない不安な時期を一緒に乗り越えてきた戦友として格別深い友情が生まれた。

その後、Y君とは私が東京や横浜に出張の折、電話して一緒に食事をし近況を語り合う穏やかな関係が続いていたが、彼には母子感染によるB型肝炎の持病があり定期的に検査入院でがん化した細胞をカテーテルでブロック治療をする苦しい1ヶ月を毎年すごしていた。

9月横浜出張の折、会おうと電話したら検査入院中とのことで「じゃあまた」と電話を切った。いつになく元気のないよわよわしい声が気になり見舞いに行こうかと一瞬あたまをよぎったが・・・。それが、最期になるとは・・。

人の死なんて あっけないものだ。

棺に収まった彼の顔は、頬骨が目立ち油気のない顔に赤く塗られた唇が いつものダンディな建築家Y君ではなかった。
涙が不思議と出なかった。
生気? 魂?の抜けた?彼はもう彼ではなかったからか?
Y君の奥さんと目を合わせたとたん涙が溢れでた。
「死」には無感情だったが、彼の死を悼む奥さんの「生」に悲しみがあふれた。
いつも傍にいた彼は、これからずーと居ないのだ。
夫婦仲がよかっただけにこれからのことを思うと胸がふさがれた。
奥さんに「今回の出張は、Y君が俺に会いに来いと呼んだのかも知れません。」「きっとそうですね。」
心の中で「H(奥)さん、あなたがY君を覚えている限り Y君は死んでいませんよ」と言って別れた。


Y君の葬儀は、花に囲まれた音楽葬でおこなわれた。会場にベートーベンの「喜びの歌」が流れていた。ドアでつながった隣の部屋には生前彼が好きだった食べ物やお酒が並べられ彼との思い出でがそこかしこで語られていた。
今年10月の結婚30周年記念に娘さんたち手作りのY家の家族歴史画像が流れていた。Y君は、この映像をどんな思いで見たのだろうか?

帰りの新幹線は、元気な頃彼の好きだったワインを飲みながら車窓から暗い景色をながめながら、この15年の月日をおもった。前日きれいな姿を見せていた富士山は闇の中だった。

2年前にひどい糖尿病に罹ってから、自分の「死」に親近感を持つようになった。人はいずれ死ぬ。私の死生観では、先に逝った両親や友とも向こうで会えるとおもっている。

Y君 そのうち行くから また一緒に酒を飲もう!

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ある仏壇店 店主への手紙

今朝、出かけに田植えをしている人の姿をみました。水田にはすでに水が張られ元気な苗の束がさわやかな風と共に、私に元気をくれました。感謝・感謝。

さて久しぶりのブログです。今年は正月、4月と2人の息子の結婚式があったり、平野神社でのお花見や竹林での筍パーティ、など私的な行事も多く、筆不精の私はなかなかブログが書けず。気がついたらもう5月も終わりが来ようとしています。

この間、もちろん仕事もしています。だいたい週に2,3人の人から葬送についての悩み相談を受けます。手元供養したいのだけど、今あるお墓の整理や残るお骨をどうしたらいいの?お金がかけられない。どんな方法がある?散骨はどうしたらいいの?などなど。

ご老人とお話をすると、老人仲間が集まっての話題は、始めは趣味や旅行で盛り上がるそうですが、最後は病気・医療制度、年金そして葬儀・お墓の話になるのだそうです。
病気・医療制度、年金については、新聞やテレビ、公共機関でよく紹介されていて知識もあるようですが、葬儀・お墓の話になると経験以外情報も少なく、はてさてどうしたものか?困っているようです。
マスコミが扱う一般葬儀は、全国平均230万円とか、新しくお墓を買うと郊外の霊園でも200万円からとか合わせると500万。大変な金額がかかることになります。でも、やり方によっては、お金をかけないで50万以下で葬儀・供養は可能です。そういう情報はあまり知られていません。

そういえば、昨年、伊丹市の中央公民館でエンディング「備える」の4回連続講座でお話ししましたが、60,70代の人生経験豊富な受講者も葬儀・お墓の知識が乏しいのに驚かされました。

そして、このような人が大多数だとすると、葬儀や仏壇、お墓をビジネスにしている人の前では、いかに無力で言いなりか・・? と不安に思ったものです。
漠然とした、自分の思いや聞きかじりの知識では簡単に論破・諭され、心ならずも誘導されることになります。大敵は「みえ」と「世間体」ですヨ。そうしたい人は別にいいのですが・・。

後悔しないためにも、自分の思いを実現するためにも、最新の正しい知識を身につけましょう。


今日は、手抜きですが先日、手元供養をしたいが悩んでいるという方から相談を受け、仏壇店の代表者にお送りした手紙を掲載します。


【ここから手紙の抜粋】

突然のお手紙で恐縮です。

以前、私が会長を務めるNPO手元供養協会主催の「自分らしい葬送を考える企画展」の折、名刺を交換させていただいています。

そのご縁で、厚かましくお手紙をお送りさせていただきました。

さて、今日なぜお手紙を差し上げる気になったかですが、昨日、御社のお店でお仏壇を買われた方から電話でご相談をお受けしました。

お母上が亡くなられ小型の仏壇を買われたそうです。お墓への納骨に合わせ一部を手元供養としたいと思われたそうですが、店員の方から残していても1年後にはお墓に戻さなければいけないと言われ悩んでお電話をいただきました。
この方は、とくに仏教を信心されている方ではありませんでしたが・・・。

供養の習俗は、宗派や地域によってずいぶん違います。ご案内のように、お骨ひとつとっても、関西では火葬のあと部分拾骨で分骨は抵抗感なく、喉仏など本骨を小さな骨壷に分け仏壇の中において置いたり本山納骨したりしています。

昨年、5月の毎日新聞の調査によると、今の日本人は、何かの宗教を信じている人は26%にとどまり、信じていない人が72%に上るそうです。ただ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心について聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大きく割れ、先祖を敬う気持ちを持っている人は94%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じることがある」という人も56%と多数を占めています。

多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、人知を超えた何ものか(自然や両親の霊と思われます)に対する敬虔さを大切に考える傾向が強いようです。手元供養をされる人は、このような人と思われます。


日本人の、死生観やお骨に対する意識もここにきて大きく変わってきていると思います。いや、戦後60年余り経って社会制度としての仏教の縛りから開放され、古来からある日本人の死生観である神道・アミニズムへの先祖還りでないかという気がしています。

私が申し上げたいのは、御社の店員の方の説明は宗教に沿った一つのアドバイスだとは思いますが、現代人にとっては、ワン・オブ・ゼムである点です。
それによって故人を偲びたい自然な遺族の心情を悩ませていることはありませんか?ということです。



人間にとって、大切な人、最愛の人に死なれるほど辛い、悲しいことはありません。ときには、残された人の、その後の人生を大きく変える事もあります。大切な故人と一緒に喜び、辛い時は励ましてもらいたいものです。
これらの感情は、理屈ではなく自然な心の在りようだと思います。供養は、元来 勝れて人の心の問題です。

かけがえのない人や恩ある人は、身近で日々偲びたいし、成仏してほしいと願う。手元供養は、故人との心の交流のための偲びや祈りの対象です。


手元供養と従来のお墓や仏壇は、敵対するものではなく供養の心を補い合うものと考えています。実際、博國屋の手元供養品を買われた方の6割は仏壇、墓の両方を持ち26%はどちらかを持っていました。

○○さんには、供養を通して社会に貢献する公器として傷心の遺族に対し寄り添う広い心をお願いしたいと思いお手紙を書きました。

5月に「自分らしい葬送を考える企画展」の多摩フォーラム講師が各章を執筆した本が三省堂から出版されました。本の名前は「自分らしい葬儀とお墓の全てが分かる本」です。私も第8章を執筆しています。興味のある方はご一読ください。
博國屋新着情報 http://www.hirokuniya.com/

今日の写真
今、博國屋周りを生活の場としている可哀想な、でも可愛い野良猫「白」「黒」「花子」に朝夕餌をやっています。今日はそのうちの一匹「白」です。彼は飼われていた猫のようで人懐っこく、他の2匹に餌を残してやっています。私は餌をやり癒しや優しい気持ちをもらっています。

野良猫「しろ」


ある寒中見舞い状

今日は、今年一番の寒さとか。京都も粉雪が舞いました。


NHKの村上信夫アナウンサーとは、以前ラジオ番組でインタビューを受けたご縁で、思いつくとたまにメールの交換をしています。
村上さんは、昨年10月大好きだった父君を亡くされました。寒中お見舞いの葉書に1年間続いた父・息子の葉書通信のことが書かれていました。ある時、この中で、父から息子への言葉

  人に接する時は、温かい春の心
  仕事をする時は、燃える夏の心
  考える時は、澄んだ秋の心
  自分に向かう時は、厳しい冬の心
と、書かれてあったそうです。


10年前で村上さんがまだ40代、男盛りの息子へのメッセージ。
父君は当時73歳、戦争を含め人生のさまざまな経験をした人生の先輩として、愛する息子に慢心することなく不断の心構えを書いたものだったのでしょう。
今、担当の「ラジオビタミン」の相方 神崎ゆう子さんも村上さんの紹介で「何よりも優しい方です。」と書いています。
この寒中お見舞いの葉書を見て、夏・秋・冬の教えは人に見せず、明るく温かく振舞う村上さんの人柄が見え、納得できました。きっとこの父君の言葉を大切に実践していらっしゃるのでしょう。


私も、カクアリタイ。と強く思った年の初めでした。




我が家の手元供養

朝日新聞「備える」シリーズ

早いもので今日は12月26日。博國屋も仕事納めで書類の整理や机周りを掃除に精を出しました。今年も多くの人に出会い、ご縁を得、学習・学習の充実した1年となりました。ひとり一人に感謝・感謝です。



昨日の朝日新聞で備えるシリーズで「お墓・下」が掲載されました。備えるシリーズではエンディングの最新情報が掲載され私も愛読しています。
今回は墓以外の納骨方法がテーマで、散骨、樹木葬、手元供養が紹介されていました。


NPO手元供養協会が設立され3年6ヶ月。協会設立にあわせ多くの人に手元供養を知っていただきたいとボランティアで「手元供養展」「自分らしい葬送を考える企画展」を全国各地で13回開催し、来場者も11月の京都展で3千人を超えました。
準備や運営で苦労もありますが、何よりのご褒美は、来られたおばあちゃんおじいちゃん達のホッとした顔や来てよかったと言うお礼の言葉・言葉でした。
来年も、横浜、名古屋その他で開催しようとスタッフ一同張り切っています。

初めの頃は、「手元供養」 ???でした。今回の朝日新聞「備えるシリーズ」では、20年近く先行する散骨(自然葬)や5年ほど先行する樹木葬と肩を並べ新しい時代の納骨・供養の方法として手元供養が特別な注釈もなくお墓以外の選択として掲載されていました。
手元供養の名付け親としては感無量。感謝感謝です。

先日もある消費者団体の編集部の人から「手元供養は温かな供養ですね。」というメールを頂き、うれしかったのですが、来年も手元供養をもとめる全国の人にお作りし、癒しや励ましをお届けしたいと切に思っています。
手元供養!さらに多くの人に!

この春、西行の「わきて見ん 老木は花も あはれなり 今いくたびか春に逢ふべき」に出会いました。
いよいよ来年は還暦。実感はまだ薄感なのですが、大切な1日、1週間、1ヶ月、1年。

糖尿も克服した1年でした。あと何年元気に生きられるか?

実りある2009年にしたいと心に期しています。

遊びせんとて生まれけん!  美しい日本の四季に感謝! 雪見、新緑、櫻、筍、盛夏、月見、紅
葉。
友との交流、酒呑む理由に事欠きません。 大いに人生を 芳醇な時空を 謳歌しましょう!



みなさんお身体ご自愛下さい。


<追伸>
NPO手元供養協会では、今年秋から一般会員を募集しています。手元供養にシンパシーを感じていただいている人、自分らしい葬送を考えている人。会報での最新葬送情報提供や無料相談を受け付けます。会員になって一緒に勉強しましょう。
一般会員制度の詳しい内容は、NPO手元供養協会のホームページ
http://www.temoto-kuyo.org/
をご覧下さい。

プロフィール

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私がたどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養という言葉は私の命名です)

大切な人をペンダントやオブジェにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し7年の歳月が流れました。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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