手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

手元供養のひろくに屋

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あれから もう 5年。

中外日報記事
今日、中外日報に勤めている友人からメールが届きました。

3月はじめに一週間かけ被災地を回ってきたとのこと。
あちこちで聞いた共通の思いは、「5年? 節目なんかじゃないよ。
苦しみはずっと続いたままです。」
ということだったそうです。


大震災以降、ブログ苦手な私も毎年3月11日に思いを書いてきました。
今年は気が重く書けないまま、悩んでいたらメールが届き、今、パソコンに向かっています。
震災間もない20011年6月、復旧基地だった遠野で被災者の方たちのお役に立てばと「いのち
の話と祈りのコンサート」を手元供養協会主催でおこない、個人としても5月から12月まで
「いのちのドングリプロジェクト」を興し、612個のドングリを被災者家族にお届けしました。
深く関わってきた思いがあります。
あれから5年。
「自分事(ごと)でない」  被災者への思いの希薄に直面しています。
人はどんな理不尽な状況に置かれても、結局、自分で克服するしかないのでは、と思うのです。
昔からそうやって生きてきた。自然相手では。
被災者に対して、個人的な助け合うことの大切さや、やさしさは失ってはならない。
しかし、それが他力である政府や組織に向けられると自立の妨げになりかねないと思っています。
自立の妨げは、心の問題であり 「被害者意識」に他なりません。
小さな私には、不屈の希望と粘り強さを願うのみです。

いつものように6月11日の朝も、神棚に向かい「東日本大震災の被災者、ご遺族のうえに今日も
いっぱい良いことがありますよう!」と祈った。
そして、これからの1年も、この祈りを続けようと心に決めました。

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あれから2年・・。

2年前のあの日も寒い日でした。

あの日からの深酒、寝不足で治っていた糖尿病が再発し今日に至るも

数値がなかなか下がりません。

頭のどこかで良くならない身体と震災被災者の苦しみを共有したいと思っている

自分がいる変な感覚があります。

傷ついた心の修復には長い時間がかかります。

しかし、四季は関係なく廻り寒かった冬もあと1ヶ月もすれば菜の花や

桜を満開にし、じめじめとした梅雨のあと真っ青な空と海を現します。


あまりにも小さい人間ですが、自然、四季に学び生きていこうではありませんか!

春の来ない冬はないのですから。



談志さんの遺骨はハワイに

昨年11月に亡くなった落語家立川談志さん(享年75)の遺骨が2月上旬今月初旬にハワイの海にまかれたという。談志さんが大好きで、家族で訪れていたハワイを長女の弓子さんが1人で訪れ、ハナウマ湾や談志さんが勝手に「ダンシビーチ」と呼んでいたお気に入りの海岸など3カ所に撒いたという。

いかにも、枠に入らない大きく、一方で家族思いでシャイな毒舌家らしいハワイでの散骨。なるほどなぁ~と思いました。

私も、家族に松山の父や母の眠る海に撒いてくれるよう日頃話していますが・・・。私の知り合いの海洋散骨サービスをしている人に聞くと、意外に女性の希望者が少ないとのこと。理由を聞いて驚いたのは、「私はカナズチで泳げない」とのこと。(骨になっても泳ごうとしているのか??)

女性のお墓への納骨場所の思考が、実家のお墓や駅近、南面、日当たり良好を選ぶのと意識が繋がっているようにも見受けられます。女性は生きている今の延長線で彼岸の生活の場所を選んでいるのでしょうか?
そう考えれば、女性に美しい樹木や温かな芝生の下で眠る樹木葬が人気があるのも頷けます。
私のお手伝いしている紅葉で有名な京都五山・東福寺の2塔頭 即宗院の自然葬地と荘嚴院樹木葬地でも婦唱夫随の例が多く見られます。
子どもへのお墓の継承が難しい時代、せめて夫としても死後別居を回避しようとしているのかも知れません。

即宗院 自然苑http://www.sokusyuin-sizensou.com/index.html
荘嚴院 樹木葬http://www.shogoin-jumokusou.com/


荘嚴院樹木葬
荘厳院樹木葬

謹賀新年 今年も手元供養

謹賀新年


終日 昏昏たり 酔夢の間
忽ち春の尽くるを聞き
強いて山に登る
竹院を過るに因り
僧に逢って話すに
又得たり浮生半日の閑
        李渉


還暦を過ぎ1年余りが経ちました。
唐の詩人李渉の「鶴林寺に題する」の詩のような穏やかな日々を願望していましたが、凡人山崎はこの歳になっても浮世の煩悩と中々手が切れないでいます。
せめて半日の閑、焼酎をポケットに忍ばせ古寺を巡り諸仏にお詫びとお願いの一年としたいものです。


今日の画像は、博國屋手元供養の逸品
京都の職人のコラボで実現した
納骨お守り「かぐや姫」
竹製納骨お守り「かぐや姫」kei



このブログを読んでいただいているみなさんにとってこの一年、いいことが一杯ありますように!

春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり

最近、立て続けに3つのシンポジウムに参加した。東京のシンポジウムは、20年前に設立されたエンディングに関わる市民団体の活動総括であった。

この中で、同じ時期に、水資源確保、森林の保護から始まった「葬送の自由をすすめる会」の理事長がパネラーとなり参加していた。生きてる間は、個々の意思が尊重され自己責任の下で自由な人生を送ることが出来るのに死んだらお仕着せの弔い(お墓)しか出来ないのか?に疑問を持ち、時の政府に立ち向かい日本で始めて相模灘で散骨を実施した。しばらくして、死後を所管する厚生省と法務省から散骨の権利を獲得した。という話しであった。


考えてみたら、公序良俗に反しないかぎり葬送の自由は認められて当たり前とも言える。むしろ、死んだら自然に還るという「自然葬」は、人間も生物であると考えるなら自然界の理にかなっていてむしろ亡骸を墓に閉じ込めて置く方が不自然ではないだろうか?お墓に入りたくない人にとっては、遺族のエゴといえないだろうか?Y理事長の話しで、土葬時代はいざ知らず現代のお墓は「火葬の土葬」ではないか?という話し。なるほど???と思ってしまったのは私だけだろうか?弔いの意味をあらためて考えた。



二番目は、南都二六会主催 第25回仏教セミナー山折哲雄氏基調講演の「日本人の死生観~これからをよりよく生きるために」
この中で、山折さんは平安時代以降の万葉の和歌や短歌のなかに日本人の死生観が佳く語られていると紹介していた。


例として、道元の「春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり」と、道元を尊敬した良寛はこの短歌を時世の句として本歌取りをした「形見とて何かのこさむ
春は花 夏はほととぎす 秋はもみじば」が日本人の死生観と断じていた。
二人とも中国の古典や仏教の法典を学び厳しい修行を重ねた上、体得したものは難しい古典由来のものでなく「人は自然とともに生き 自然の中に生きる」という真理だったと話していた。
なるほど・・・。



もう一つ、気になる話を聞いた。人生50年から80年になったのは、ここ2・30年で、室町時代から日本人は人生50年として生きてきた。つまり、50歳以降30年の人生モデルを持っていないというのだ。仏教では、自分の思い通りにはならないものとして四苦(生・老・病・死)を説いているがこの生・死の間の老・病にかかわりの深いの長い時間を過ごすようになったというのだ。これを高齢化と呼ぶのかもしれないが、物理的なものでなく人間として日本人が経験したことのないこの人生80年をどう生きるかという大きく重い問題提議として聞いた。
中村仁一さんが言う「人間賞味期限を過ぎた老人の存在意味」と重ね合わせてじっくり考えてみたいと思った。




今日は疲れたので三番めの朝日新聞&関西学院大共催の「愛する人との送り方送られ方」の話しは次の機会としたい。

そういえば、私もお盆に大蓮寺で、10月にはクレオ大阪南でエンディングや死生観のお話しをした。来られた方たちはみなさん私より人生の先輩がほとんどであったが、普遍的な正解のない人生80年時代をどう生きるかという問題に悩んでいる人達だったようにも思える。



2つの講演で、私は 秋元順子の「愛のままで」の歌詞「あぁこの世に生まれ めぐり合う奇跡 すべての偶然があなたへと続く そう 生きてる限り ときめきをなげかけて 愛が愛のままで 終わるように」を例に男女の出会いもそうですが、今の自分があるのも奇跡に近い。「今の自分があるのは、27代前(奈良後期)に遡れば1億3千万人の男女が縦の糸でつながり関係している。この内1人でも違えば今の自分はない。誕生していない。だから、「生」を頂いただけで感謝感謝なのです」というお話しをした。



「死」を考えることは、どう「生」を生きるか?に他ならない。
せっかくいただいた「いのち」、ねがわくは道元の「春は花 なつほととぎす あきは月 冬雪さえてすずしかりけり」のように春夏秋冬を愉しむ日々をおくりたいものである。




今日の1枚 「大蓮寺・應典院提供」
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プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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