手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

手元供養のひろくに屋

沖縄のお墓(本部・瀬底島)

40年振りの沖縄。学生時代鹿児島港から1万トンの船に乗って返還直後の沖縄に行きました。その頃の沖縄は、まだ車は右側通行でした。今のような高層ビルやハイウェィもモノレールもなく、那覇都心部も赤瓦に白の漆喰屋根が多く、スカイラインが低くのどかな街だったのを覚えています。南端 糸満市から名護市、本部半島をレンタカーで。
その風景の様変わりに驚きの2泊3日の旅でした。変わらないのは、白い砂浜に海の美しさと優しい沖縄人の人柄、そこでのゆったりとした時間。
手元供養や樹木葬など葬送の仕事に関わって、沖縄のお墓が本土のものと大きく違う事は知っていましたが、天国のような美しい海辺、瀬底島でそれを見つけました。写真を取りましたので、海辺と合わせて見て下さい。

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事務所の引っ越し

山崎がお付き合いしているみなさんへの手紙

13年住み慣れた南区吉祥院の事務所から京都の町中(寺町通り)に移転して1ヶ月がたちました。
立地の違いを5感で感じている日々です。街づくりプランナー時代の血が騒ぎます。

お金がないので、テラコッタの床タイルと漆喰壁、天井のペンキ塗りはアルバイトを使い2週間かけ自分で改装しました。味(?)のある事務所空間となりました。
かなりの肉体労働で4kgほど痩せましたが至福の時間でした。ぜひご覧ください。
云い忘れていましたが、築43年、エレベーター無しの4階です。人生(年齢)を噛み締めながらお上がり下さい。

現在探検途上ですが、近くには個性的で美味しいお店が数多あり、体型の危機に瀕しています。
移転を機に、電動アシスト付き自転車を購入しました。丸太町通り橋西詰めを鴨川に降り4条辺りまで川辺をヨロヨロサイクリングしています。若年・老年カップルやカルガモが岸辺に上がり散歩している様は、ついぞ、天神川では見かけなかった風景です。しばらく梅雨空が続いていますが、今の季節、川面をわたる風は気持ちいいですね。

先の土曜日には、友人の山崎正史さんが大阪府教育委員会賞を受賞した作品を見にこのチャリで京都市美術館に行ってきました。岡崎も今や我が庭です。

事務所は4階ですが、5階の専用屋上から東大文字や比叡山が望め、その開放感たる也!
ここで飲むコーヒといっぷくの煙草は最高です。そのうち、ビールも用意しておきます。
会社の電話番号は、075-257-7838に変わりましたが、携帯番号は変わっていません。
お近くにお越しの折はお気軽にお立ち寄り下さい。
屋上からの風景

ドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」のご案内

親愛なるみなさまへ

友人の中山さんから下記のメールが届きました。

原発事故から4年が過ぎ、あの頃の強烈なショックから、
それぞれ自分(人生)を改めて考えるきっかけとなった人も多くいるのでは?

忘却は、悲しみを癒やす時間薬として人に与えられたすぐれた生理機能とも言えますが
時々は思い出し、噛み締め、忘れてはいけないこともあるように思います。

昨今の、安部首相の戦争も辞さない強引て性急な法改正の動きも、右翼(天皇崇拝・日本人
の矜持)を自認している私にも下策の行為と映ることがあります。
力には力で、対抗しなかった「宋」や「江戸幕府」の時代、文化・芸術は爛熟しています。

オープンになった情報だけでない、知らされていない情報があるのかもしれませんが・・・。

日本人の花鳥風月を愛で、自然とともに暮らす生活を孫や子供に引き継ぎたいと願っています。

日々忙しく動かされ流されている私も、たまにはこんな映画見てみたいと思いました。

ご案内いたします。

今度、6月20日(土)から私が福島で撮影したドキュメンタリー映画「ナオトひとりっきり」が
京都立誠シネマで上映されます。

「ナオトひとりっきり」は、原発12キロの富岡町に一人残って動物たちと生きている松村直登さんを一年近く追った映 画です。放射能汚染されていても、そこに生きるいきものたちの命は穢れないものなのではないかという問いを胸に、一 人で一年近く通い続け、誰もいなくなった町に生きる一人の男性と、残されたいきものたちの生死を見つめました。映画 ホームページ:http://aloneinfukushima.com

21日(日)の午前11時20分の回の上映後には林海象さんと対談します。
http://risseicinema.com/movies/10570

もしよければお友達やお知り合いに広めていただけると幸いです。

よろしくお願いいたします。

中村真夕


山崎譲二拝



震災から110日。

東北大震災から110日が過ぎました。

大切な人を亡くされたご遺族に、お骨の一部を側においてもらえれば心の支えになりますよ。と、緊急メッセージをしてから久しぶりのブログです。
この間、わたしは被災者ご遺族に向け手元供養品(「いのちのドングリ」を届ける「いのちのドングリプロジェクト」を立ち上げ、全国の賛同者とドングリ希望者をつなぐ活動をしています。
詳しくは、ホームページをご覧ください。
http://inochinodonguri.blog.fc2.com/

避難所から仮設住宅に移ると、プライバシイーは守れるものの、その分、孤独が押し寄せてきます。こんな時こそ、手元供養品が力を発揮してくれます。
朝、ドングリに「おはよう!」とあいさつするとその日、1日げんきに暮らせます。
夜、孤独が押し寄せてきた時、ドングリを握り締めると心が安まります。

日々、ドングリ希望者からお電話をいただきお話していると、胸にこみ上げるものがあります。
涙腺も、3月11日以降、故障しています。
悲しみを乗り越えてもらいたいと、ただただ祈るばかりです。

多くのマスコミも共鳴していただき、新聞大手の読売や朝日新聞は全国版や地方版でカンパやドングリ希望者を募り、宮城の河北新報社や岩手日報は被災者遺族に向け希望者に向けたメッセージを繰り返し行っていただいています。感謝感謝です。
おかげさまで、6月28日までに、222人のご遺族にドングリをお届けしました。
カンパは約150万円集まり1,000人の方にドングリをお届けできます。しかし、今回の震災では、2万5千人の尊い命が亡くなっています。
できるだけ多くの人に一刻も早くと、東北3県の仲間と一緒にメッセージが届くようがんばっているところです。

この、「いのちのドングリプロジェクト」にご賛同いただけたら、是非カンパやお知り合いの被災者ご家族にこの情報をお知らせください。

博國屋店主 山崎 譲二

いのちのドングリ画像 kei008

今日は母の3回忌

今日は母の命日。2年前の今日83歳で母は息をひきとりました。

京都は夏を思わせる青空が広がり愛宕の山には入道雲が湧き出ています。今頃、散骨をした松山の海はどんな色をしているのだろう。青くて冷たい海がなつかしい。

兄妹や息子たちもこの時刻、場所は違えど松山に向いこうべを垂れ母を思い黙祷したことだろう。

私も今朝は沐浴し、伸びた無精ひげを剃り白いシャツに着替えて、地蔵さんとなった父母に大好きだったタバコを1箱奮発しチョコレートとヨーグルトをお供えした。

インドのお香に火をつけ、手をあわし母への感謝と安寧をねがった。

生んでくれてありがとう。あなたの血を受け継いだ3人の子や8人の孫達、そして3人のひ孫たちみんなそれぞれの場所でがんばってるよ!

夏が好きで元気だった頃の想い出がよみがえり胸があつくなった。

ぼくがおぼえてるかぎり 母は僕の中に生きている。

おふくろの作る卵にジャガイモ、たまねぎのいっぱい入った味噌汁、テカテカしたあの甘醤油の鯖の煮つけが無性に食べたくなった。










3回忌お供え
プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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