手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

手元供養のひろくに屋

札幌企画展

3日間の出張を終え、昨夜札幌から帰ってきました。「自分らしい葬送を考える」と題したフォーラムと、企画展の開催。

フォーラムでは、北海道新聞で7年間続くコラム「小谷みどりの葬送now」の講演のあって、小谷ファンを中心に80人余りの参加者でした。
講演の後、私も参加した鼎談もあり、会場から質問も受け付け中身の濃い2時間半に来場者も満足。
北海道は100年程度の歴史のせいか、お寺さんとのつながりも比較的薄く、来場者の挙手でわかった事ですが、葬送に関しても「葬儀はいらない」「お墓もいらない」と考える人も多く、壇上の我々の方が「エー」「ホント」て感じで圧倒されました。
参加者がシルバー世代でリアリティがあるだけにウ・ムーでした。

手元供養展が開かれている札幌エルプラザ会場では、開催初日、14日の北海道新聞生活欄にカラーで手元供養が紹介されたこともあり、2日で300人の来場がありました。

この分だと、会期5日間で600人以上は来場が予想されそうで、あまりの反響に開館側も戸惑い気味。

2日目、会場10時前の最初の来場者は、年輩の母・娘さん。帯広から朝6時の汽車に乗り来られたとか。熱心にご覧になりご主人を手元供養とする事に決めました。と。にこやかに帰られました。
開催に至るまでには色々苦労がありましたが、このような笑顔に会う度、よろこびで疲れがとれます。


夜は、地元の人の案内で小さなお店のジンギスカンこれが最高にうまく、お替わり。アルコールも地ビールから芋焼酎へ。
ハシゴは、なんとアイスクリームとリキュールのコラボレーション「ミルク村」。これがまか不思議。合うんです。
札幌の夜も更け、この日も日にちを跨いでホテルにご帰還となりました。反省反省。

では、また。
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手元供養の札幌行脚

NPO手元供養協会の仕事で、9月3.4.5日と札幌に行って来ました。

13日から地元「葬送を考える市民の会」とNPO手元供養協会共催で開く「葬送NOW!札幌week」の準備で、お借りする会場への挨拶や新聞社、放送局との打ち合わせなどあわただしい時間を過ごしました。

夜は、初対面でしたが、温かい人達とふれ合うことができ、連夜の2時まで愉快な食事と酒と会話の豊潤な時間を持つことができました。
中日の9月4日は父の3回忌。一緒に酒を付き合ってもらい、思い出深い札幌行きとなりました。感謝・感謝。

14日から始まる札幌企画に向け再度の訪問。札幌市190万人、北海道560万人の人に「手元供養文化」を知ってもらいたいと・・・。
博國屋店主の旅はつづきます。

8月末、家内と女人高野として有名な奈良の室生寺に行ってきました。
このお寺も、高野山と同様鬱蒼と繁る杉木立の中、ヘロヘロになりながら会談を登り切ったところに奥の院があり、休んでいると地元の人らしき30代とおぼしき人が、尼さんの導師による納骨の儀をおこなっていました。聞くと、納骨料3万円、位牌をつくり安置・永代供養で11万円とか。全国から納骨に来られるとのこと。さすが女人高野と納得。
左記の台風で一部壊れた五重塔も修復が終わり美しく鎮座していました。写真をご覧あれ。
今日はこの辺で・・・。20060911203357.jpg

プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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