2007年4月は、私が12年間主宰してきた大阪・京町堀の街づくりの事務所「カン綜合計画」閉店を決意した人生の大きな節目でした。セゾン時代を含めると33年間、街づくりに携わってきました。
この間、各分野のほんとうにたくさんの秀れた人に出会え、仕事にも恵まれ腹いっぱい、目いっぱいの時間を過ごすことが出来ました。
わたしやチームが関わり産んだ子どもたち(つくりあげた街や人)が、美しく元気に育っていることが私の誇りでもあります。
無常を知る齢(よわい)五十八となり、 此岸(この世)の街づくりは後進に任せ、生んだばかりの「手元供養」に専念しようと心に決めたわけです。
手元供養は彼岸のまちづくり・家づくりと考えていました。
そんな 4月のある日、人権運動家の知人 大賀さんとご一緒に東寺の教化部長土口哲光和尚にお目にかかりました。
和尚は、にこやかで柔和なお顔の奥に豊富な人生経験と生きた仏教哲学を秘めた飾らないお人柄。
手元供養文化を広めようという私の話を真剣に聞いていただき、そのあと雑談のかたちでの旧知、賢兄お二人の思い出話は、それとなく未熟な私に新しい文化をかたちづくっていく運動の進め方やこころの持ち方をご示唆いただいた貴重な貴重な4時間でした。
その間、シンプルで美味しいお寺のお昼や、堂本印象の襖絵のある小子房まで見せていただき、心も舌も目も果報。お二人の私の船出へのエールに感謝・深謝の1日でした。
後日、和尚から頂いたエッセイに「仏教では、『生死一如』といって、生きることは、即ち死ぬことで、死は遠いところにあるものではなく常に側に存在すると説かれています。」と書かれていました。此岸も彼岸も一緒。エロスとタナトスは隣り合わせと言うことでしょうか?
とすれば、わたしの此岸と彼岸の街づくりは洒落でなく同じものを追求しているんだ。と、腑に落ちたしだいです。(自分では進歩と思っていたのに何たることか!)
そして、この4月のもう一人の出会い。
名古屋に棲む私と同い年のとてもチャーミングなエッセイスト内藤洋子さん。娘さんが、大学院で先祖祭祀の研究をしていて手元供養に興味を持ちそのご縁でご一緒に博國屋に来られました。もう少し手元供養のことを聞きたいと。
小論文とフィジカルから読み取れる聡明で明るい娘さんの1/2の遺伝子の素は、やはり。
母でもある内藤洋子さんは、只者ではなく波乱万丈の人生を挫けず、明るく、前向きに、楽しく生きている人のように感じました。
その姿はまさに高杉晋作の「おもしろき こともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」を地でゆく人のようでした。
すべては、「心なりけり」。
やはり後日送っていただいた著書「女のモノサシ」を読んで、彼女の豊かな感性とともにお目にかかった印象を確認、確信した次第。
同じ歳。負けてられない。そして元気をありがとうございました!
悩みながらも、大きな決断をしたこの4月。お二人との新しい出会いに感謝・感謝。
内藤洋子さんの娘さん、内藤理恵子さんは大学のかたわらプロの似顔絵画家。似顔絵を贈っていただきどうもありがとう。理恵子さんに映った私は眉が印象的だったようです。
