手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

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循環ということ

まちづくりのプランニングをしていた頃、米国カリフォルニアの州都サクラメントの南に位置するデイビスという町を訪れたことがあります。


この町には、農学部で有名なカリフォルニア州立大学デイビス校があり、この農業部門の教官がベトナム戦争で人生観が変わったヒッピーといわれた人達と一緒にまちづくりに参加した「ビレッジホーム」という住宅地があります。


この住宅地には、コンクリートで固められた側溝はなく玉石の溝で降った雨は土に滲みこみ家周りの豊かな緑を育てています。住宅地のあちこちには実のなる樹が植えられ、鳥たちの餌となり子ども達も自由に採って食べていました。陽の当たる家の中には水を湛えた大きなアクリル製のシリンダーが置かれやさしい暖房の熱源となっていました。ここの子ども達は親達から街の子どもとして、家族どうようにのびのびと暮らしています。そう、この間まであった日本の下町の明るく濃厚な人間関係を見るようでした。


ビレッジホームの子ども達はきっと同じようにまちの大人達となって次世代にまた、まちごと引き継ぐことでしょう。このまちには、自然との付き合い方、持続可能(サスティナブル)な技術、温かなコミュニティのまちづくりが骨太に生きています。だからこそ地味かもしれないけど日々のこころ豊かな暮らしや安心が連綿とした中で約束されているような気がします。



何でこんなことを書いたか・・?それは、「循環」という言葉です。農業分野である植物は、ライフサイクルである生命の誕生から成長、繁殖、老化、死を繰り返す原理から逃れられません。人間も、また、なのですが・・・。現代の日本人は永遠の生などありえないのに自分が死ぬことを忘れているかのように見えます。そのせいか、生き方が薄っぺらに感じる人をよく見かけます。「死」を考えることは「生」をどう過ごすかということと表裏の関係にあるように思います。



今の日本人には、農業人のように自然への畏敬と感謝、相互扶助、そして植物に見立てた循環を達観するこころの広さが求められているような気がしてなりません。

まちづくりも人も、際限のない成長論理から、持続可能で豊かな循環の思想がもとめられているのでは・・・。

11月2・3日、ウィングス京都で「自分らしい葬送を考える企画展」が開催されます。今回も小谷みどりさんや終末医療の臨床医中村仁一先生など素晴らしい講師陣による講演が予定されています。詳しくは改めてご報告します。お楽しみに。




今日の写真は、通勤途中の田んぼ。5月の連休頃の田植えから5ヶ月あまり稲穂がずっしりと実を蓄えた稲の写真です。おいしい新米が楽しみです。
実った稲穂
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プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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