手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

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愛煙家の独り言


「自分らしい葬送を考える企画展」第12回手元供養展in京都の講演者の一人、中村仁一医師は長年終末医療に携わってきた。

独自の死生観を持つ中村先生は、12年間「自分の死を考える集い」を主宰している。
企画展に参加した知り合いの文化系シンクタンクの所長を訪ねたとき、中村先生の講演の話になり、癌は最期まで頭がはっきりしていて認知症より幸せな最期を迎えられるという話に強い刺激を受けたそうだ。

そういえば、解剖学者の養老猛司氏からあまり大きい声でいえないが愛煙は認知症に効果があるようだ。という話を聞いたことがある。愛煙家が癌での死亡率が高いという話は聞くが短命と言う話は聞かないね。ということになり、

愛煙家の私は「それは、いい話だ!タバコを吸って癌になって死のう!」と言っていたら、一緒にいた主任研究員が「そういえば、昔、多田道太郎先生が、世界で最も平和を愛するアメリカインディアンの発明したタバコが悪うはずはない!」と言っていたね。

と言う話も加わり、ここのところ愛煙家、小氷河期の社会論調に対し久しぶりに愉快、愉快でシンクタンク研究所をあとにしました。

そういえば、79歳肝臓癌で亡くなった父、肺癌が見つかり83歳で亡くなった母は、ふたりとも大の愛煙家で、病床についてからもベットを抜け出して、うまそうにタバコを吸っていた姿を思い出します。もちろん最期まで頭はしっりしていました。

事務所に帰り、手元供養となった両親の地蔵さんの前に供えられたマイルドセブンに目をやり思わずニャっとしてしまいました。

昨日は、休暇をもらい京都紅葉散歩をしてきました。今日の一枚は、大徳寺の塔頭の一つ高桐院お気に入りの紅葉の庭です。午後からは高雄 神護寺に登り色づくいろはカエデのグラデーションを楽しんできました。休養と充電完了です。




081113高桐院kei
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立冬の丹波篠山

準備から後始末まで3週間ほどはお休みなしの日々でした。11月2日、3日の「自分らしい葬送を考える企画展」第12回手元供養展in京都も盛況のうちに終わり、企画展の後始末で休む暇もなくやっと昨日、休養と紅葉の丹波篠山に小旅行してきました。

亀岡の鍬山神社の紅葉をと思ったのですが、その前においしい蕎麦も食べたいとの思いも加わり丹波篠山の蕎麦100%の逸品「一会庵」に一路。京都縦貫道で丹波へこれが間違いで山越えの道を迷いながらのみちゆき。

お陰で途中、里山の紅葉・黄葉は十分堪能できたのですが、3回も電話をかけ道を尋ね11時半~午後2時半の営業時間ぎりぎり茅葺き農家の「一会庵」に滑り込みセーフ。素朴な応対、看板一つ立っていないのですが、それも又良しの蕎麦屋さんでした。
侘び寂を愉しむ茶道の世界と共通する心持ちか?忙しく日々を暮らすまち人もたまには・・。


井戸水で冷やした墨色の利いたうす緑色の細切り蕎麦をシンプルな浸け汁のそば切りと、温かなそばがき、甘みを抑えたそばぜんざいのフルメニュー(メニューはこの3つしかない)を食し、最後は蕎麦湯を楽しみ心もまんぞく、おなかもまんぞく。

気分もゆったりし、篠山城下を散策。江戸時代の風物や文化の残るこじんまりとした城下町は、特産の黒豆、栗、そして今旬の山芋などを買い買いしながらそぞろ歩くうちに夕暮れ。亀岡の鍬山神社の紅葉はあきらめ家路に着きました。

江戸時代の時代小説を読むと「気晴らし」に、まち人がよく郊外にお重を持って春は花見に、秋はもみじ狩にゆき料理茶屋に遊ぶ姿が描かれていますが、これは「気散し」ストレス解消し英気を養っていたのでしょう。
現代、今の自分も同じだな・・。と重ね合わせ妙に納得。(進歩がないなー)

でも、負け惜しみでなく、あー!季節のある日本人に生まれてよかった! うまい蕎麦が食べれてよかった!

里山の紅葉は堪能したので、次回は洗練され、粋な京都お寺の紅葉を楽しもう!今日も冷えるので今週末か来週あたりは紅葉・黄葉も盛りかな?
桜と違い、もみじ狩は若干時間に余裕のあるのがありがたい。
私は、緑から黄、赤のグラデーションが楽しめる柿の葉の紅葉が好きなのですが、残念ながら昨日の小旅行では柿の紅葉に出会いませんでした。今年はであえるかな?






一会庵家屋


プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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