手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

手元供養のひろくに屋

宗教の呪縛か思いやりの喪失か?

4月13日、朝日新聞夕刊ニッポン人脈記『弔い縁ありて』に、「手元にいつもあなたが」という タイトルで俳優の穂積隆信さんと私が紹介された。
取材した星野記者の文章を読んで、改めて思ったことがある。それは、大切な人を亡くした者にとって、その人は死んでいないと言うことだ。
一緒に過ごしたたくさんの思い出。帰省の度に見せてくれたほんとにうれしそうな顔、顔、顔。
「よく帰ってきたね」その声がいまも耳に残っている。私にとって絶対の愛で包んでくれた両親は、確かに生きている!理屈ではないのだ。

博國屋の会社名も住所も記載されていないのに、新聞社やネットで調べて30通を超えるメールや電話がかかってきた。旦那さんを亡くした初老の女性、妻を亡くした老人、子どもを亡くした母親などなど。
それぞれ事情がちがうが共通しているのは、大切な、かけがえのない人を失って悲しみにくれている人達であることだ。
亡くなってからすでに1年以上たつひとも多い。

16日、61歳の千葉の女性からお電話いただいた。
『主人が亡くなって1年になります。親戚から「遺骨を早く墓に納めなさい」と、くり返し言われ続けてきたが、さみしくて骨壷を手元から手放せない。親戚の人から言われるたびに胸が締め付けられるように苦しくて・・・。』
記事を読んで、私の思いと一緒だと。ほんとうにうれしかった。私も手元供養したいので資料を早急に送って下さい。」

そして今日、山科から1年前大黒柱の夫を亡くした40代の女性が博國屋を訪ねて来た。
千葉の女性と全く同じ 周りから納骨を責められ、苦悩の中で偶然手元供養を知った。残された一人娘を育てながら、平日は仕事で来れないと休みの今日、恐縮しながら来られた。

もう1年も経ってるのに・・・。話しながら熱い思いがこみあげるのか 幾度も涙をぬぐっていた。
手元供養品を手に、これで主人が買ったお墓に納められるとほっとした顔で帰られた。

いつも側にいてやさしく語り合った人が、ある日突然いなくなる。こころにぽっかり大きな穴が開く。
側にいて欲しい。この寂寥感、心細さ、悲しみは当事者じゃなければ分からない。


そんな悲しみの中にいる人に、「いつまでも遺骨を家に置いておいちゃあ だめだ!早くお墓に入れなさい!」

こんな、理不尽な思いやりのない言葉を投げかける親戚筋!

本来なら、悲嘆にくれる遺族に対し心の安らぎに与える役割のはずの住職達!

そんなことなら、しきたりや宗教はいらない!

話しを聞きながら怒りと哀しみに震えた。

まちには、白やピンクの花水木が咲きサツキもつぼみをほころばせ、藤棚にもうす紫の花が風に揺られている。春だ。


こんなにもか弱く、けなげでやさしい女性に温かな言葉と労わりを掛けてあげられないのだろうか?

彼女にも、あたたかな春がきますよう。





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プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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