手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

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遺骨と遺族

先日、おもいで碑を購入された方と電話で話していたときのこと。
「お骨は自分で舎利台座に入れるんですか?」
「骨壷から自分で取り出していいんですか?」
はぁー?と思ったのですが、考えてみれば 普通 遺骨とあい対する経験は、お骨上げの時、それも長い箸を使って焼骨から骨壷に入れる時だけ。
骨壷に入れると、その後、遺骨=骨壷で、お骨のリアリティは薄くなり、さらに、お墓に入れてしまうと、お骨は観念的なものとなり(たとえば、おばあちゃんはここに眠っている。など)、リアリティは全く無くなってしまう。
これが一般的な、遺族と遺骨との関わりだろう。

手元供養の場合、斎場でお骨上げの折り、一部を採ってハンカチに入れ持ち帰るケースもあるが、電話の人のように骨壷から分骨するケースが多い。
そうすると、改めて故人の死と故人(今の姿=遺骨)に向き合うことになる。

その時の感情は、貴重なもの、触れてはならないもの、恐いもの。どうしよう、壊れないかなー、大丈夫かなー、バチがあたらないかナーなど などの感情が一気に溢れ出す。
これは、古くからの日本人の先祖崇拝に対する感情の同居「おかげ」と「たたり」と同じようだ。

分骨し手元供養に納めなければならない状況で、最初は畏(おそれ)おおく触れるのに決意がいるが、最後は愛情が勝ち、故人を偲びながらお骨の一部を取り出し、新たな納骨場所に入れる。
それも箸を使わず自分の手で。
実際やってしまうと、どおってことないものなのだが…。


お骨が、自分の子どもや、愛する人の場合は、頬ずりしたくなるような、いとおしいものらしい。高倉健さんなどは、撮影で葬儀にもでられなかった母の遺骨を思わず囓ったとエッセイに書いている。
どうも、人のお骨への意識の持ちようは、故人との関係、情愛の濃淡で接し方が違ってくるようだ。

わたしの経験をお話しすると、一昨年父が亡くなったのですが、父の希望で実家そばの海に一部を散骨することになりました。
散骨するには砕骨する必要があったので、家族で散骨をおこなう前の夜、はじめは骨を砕くということに抵抗がありましたが、一大決意し、骨壷から骨を取り出し、袋に入れ、生前の父を思い出しながら30分程かけ、鉄アレイで砕骨しました。
白いTシャツは、終いには汗でびっしょりになりました。
篩(ふるい)に掛けると、サラサラときれいな浜辺の砂のようなり、にぎると指の間からこぼれ落ちました。武骨な骨のままより白砂になってよかったなー。と。
感動の作業が終わった後は、すがすがしい気持ちとなり、白砂となった父を前に酒を呑んだことを憶えています。

その時の砕骨されたお骨の一部は、今、目の前の地蔵さんの中にあって、私に微笑みかけてくれています。
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プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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