手元供養(ミニ骨壷、納骨オブジェ、遺骨ペンダント)で愛する人の分骨を自宅供養 | 手元供養専門店 京都・博國屋(ひろくにや)へようこそ

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新年に思う

あけましておめでとうございます。
昨年暮れ、文藝春秋11月号の団塊特集で紹介されたあと、今度は12月17日、毎日新聞池田知隆論説委員兼編集委員の担当記事「団塊」探見で紙面半分を使った記事。それも大きく顔写真入りで紹介されました。マスコミの力恐るべし!!

私が20代の頃、八ヶ岳の別荘地づくりで一緒に働いていた先輩から突然の電話。30年の時間をいとも簡単に乗り越え、あの頃と変わらない声で「おおージョージ!文藝春秋見た。元気でやっているらしいなぁ!」何ともまあー、名前も言わずに相変わらずの酔ったようなだみ声。「あー。リュウさん!」私は30年前にタイムスリップし、リュウさんの風貌とあの頃の土木の作業着で安全靴を履いた姿の前に立っていました。
当時一緒に別荘開発をしていた土木や建築の仲間へと話が進み彼らの顔や八ヶ岳のホテルや高原の風景が、匂いが、ディテイルまで思い出され懐かしさで一杯になりました。普段は物忘れが激しくテレビに出てくる俳優の名前が思い浮かばずウンウン唸っているのに何てことでしょう!!

そして、今度は、30代、池袋のサンシャインビルに勤務していた頃の同僚女性から、「毎日新聞で見てびっくりした!!声ぜんぜん変わってないないわね!」どうも、私の声もあまり変わってなかったようです。「そんなこと無いよ!髪は白くなるし垂れ目は進むし、イヤになるよ。」と云うと、「そういえば・・。」「でもあの写真よかったよ!」(毎日新聞の西村写真記者に感謝)、「一番下の子が今年大学受験。終わったら会いましょう!」これも懐かしい電話でした。
他にも、一緒にニュータウンづくりをした仲間やドイツで知ったという高校の同級生などなどなど。ホントにたくさんの級友、知人から連絡いただきました。
近年、メール以外はサボっていた賀状のいい替わりになりました。(ズボラで申し訳ない)

もう一つ思ったことは、昔の友はみんな歳を取ったんだナーと云う感慨でした。確かに私も58歳。あまり自覚はありませんが…。
「還暦で赤いセーターでお祝いしてもらった」「孫が出来た」「定年退職して今 百姓してる」「あちこち悪くって入退院を繰り返してる」最後には「彼はガンで亡くなった」だんだん気が滅入る話が綿々と続きます…。頭の後ろの方で君も自分の年齢を自覚しろ!!と云われてるみたいで…・。確かに長年乱暴に使ってきたこの身体。色々故障も起こして当然出羽あります。騙し騙し使ってもあと20年程。その貴重な1日、1日を大切に充実した生活を送ろうと心新たにした次第です。

手元供養品を扱う店主なので、無理矢理にでも手元供養を結びつけた年頭の話題を一つご披露します。
「おもいで碑の生前購入」の効用です。
昨年暮れに、2人、立て続けにお地蔵さんの生前購入のお客様がありました。共通点は、明るい!団塊世代の奥様!でした。
自分の意思を周りの人に明快にする目的で、生前にお骨収納型オブジェの手元供養品を購入する動きなのでしょうか?彼女たちの話では、
①家墓には入りたくない。
②子どもに墓のことで負担をかけたくない。
③自分が選んだ手元供養品で、子や孫達のいつも傍にいて、自分を偲んでもらいたい。
④いつ何が起こるかわからない。自分の行き先が決まることで安心して生活したい。
が主な理由のようです。
自分が死んだ後、自分の思いと違う祭られ方をされないための防衛手段とも思われました。自分のポケットマネー(へそくり)で買える額であること、子どもとしても母(父)がそこまで云ってるのだから仕方ないか!親の供養のことだし、別に負担が掛かるわけでもないのだから・・・。を期待しての行動のようです。(なるほど、賢い!)いずれにしても、自分が死んだ後も子どもに偲んでもらいたい親心の表現として、手元供養が選ばれたようです。品定めに旦那さんと一緒にみえたご婦人は「自分が死ぬまで居間に飾って、友達や子供たちにも私が死んだらこの中に入るのよ!とみんなに言うの」と、どこまでも明るい。

確かに、物騒な世の中。「昨日まで 人のことかと思いしが おれが死ぬのか それはたまらん」となっても大丈夫なよう「転ばぬ前の杖」改め「転ばぬ前のおもいで碑」。

本年もよろしくお願い申し上げます。
年頭の写真は、2日に日帰りでの里帰りの時に取った松山道後の本湯の写真。暖まってからお帰り下さい。 博國屋店主拝
道後温泉本湯

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プロフィール

博國屋店主

Author:博國屋店主
セゾンのデベロッパー会社で21年。独立してまちづくり事務所を13年。この間、国内やアメリカやヨーロッパのすぐれたまちづくりを学び、関係する全国のまちづくりに関わってきました。
そんな私が父の死をきっかけに両親の葬送や供養について考えざるをえなくなりました。
葬送について何も知らなかった私が、時代にあった供養を研究し、たどりついた結論。それが手元供養でした。(手元供養は私の命名です)友人清水泰博教授(東京芸大)と1年余り試行錯誤を繰り返し、日本で始めて作り上げた手元供養品が「おもいで碑シリーズ」です。今や「おもいで碑 地蔵」は、手元供養の代名詞に育ちました。

大切な人をオブジェやペンダントにして手元供養しませんか?と、新しい葬送文化を提唱し11年の歳月が流れました。

今では、色々な手元供養品が商品開発され「手元供養」という言葉も定着してきました。ありがたいことです。

博國屋を通して学んだことを’07年には、「手元供養のすすめ」を書き、お墓や供養のことで悩まれている人へと樹木葬や散骨などお墓に替わる新しい葬送情報を利用者の言葉も交えわかりやすい解説書として翔伝社新書から出版しました。

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